「群馬の食」がテーマの今号の目玉は、やはり料理家がコーディネートするお料理を食べながらの対談でしょうか。対談場所には、カメラマンはもちろん編集者、デザイナーたちが勢揃い、香ばしい肉の焼ける匂いにお腹がグー・・・。美味しいものは本当に皆の気持ちを優しくしてくれて、幸せ気分になります。表紙の野菜は、伊勢崎の下植木ネギと国分人参。伊勢崎銘仙で栄えた頃に盛んにつくられ、銘仙と一緒に日本中に贈答品として配られた下植木ネギは、あの下仁田ネギに勝るとも劣らない柔らかさ。白菜で知られる旧群馬町の国分で生産された国分人参は、外来の人参に押され今は生産農家は数件とか。牛蒡のように地面奥深く伸びる長い長い人参にびっくり。洒落でこの人参をぐるぐる巻きにした漬け物をつくってみました。称して「ぐるぐる漬け」。どこかの漬け物屋さん商品化しませんか?
石にメッセージを刻む。なんて強固な意志の表れなんだろう。あれほど固いものにコツコツ情報を刻み込むのだし、ちょっとやそっとで消し去ることもできない。本や雑誌もメディアとして歴史は古いがそれ以上に石碑の歴史は古く、数千年もの前の人間の営みや思いが刻まれ今に伝えることもります。ここで紹介されている石碑はそれほどではありませんが、そこには自分たちの愚かさをこれから何百年、何千年と風化させはしないという強烈な意思を石(ダジャレじゃない)に刻んだものもありました。特集タイトルロゴの「碑」をデザインして表紙に大きくレイアウトしました。卑しい石と書いて「碑」。意思を込めることが卑しいのか、とるに足らないというか、自分たちをさげすむ行為が石碑の根本に隠されているのかもしれません。
男というやつは、どうも頑固で頭がコチコチ、でいながら調子にのると手がつけられない愚かな生き物です。それに比べ女性は、何ものにもとらわれない柔らかい感性をもっていますが、これまた到底男には手に負えない強烈な生き物です。7号の特集は「時代を生きた女たち」。巻頭を飾ったのは、ベネチアビエンナーレ日本代表で今や世界的女性写真家の石内都氏と美術作品から死生感を読み解く研究をしている美術史家の小池寿子氏の過激で刺激的な対談でした。会場は、石内氏の個展の会場で行われ、決して忘れられない対談でした。とうてい紙面に表現できない生々しい会話に、お調子者の男でよかったと胸を撫で下ろしました。表紙を飾ったイラストは、自由気ままに世界中を旅するこれまた女性の大内智子氏。女だらけの上州風でした。
小学生の頃、夏休みになった学校の校庭に大きなスクリーンを張って鑑賞した、真夏の夜の映画会がありました。ゴザを敷いて夕涼みしながらののどかなものでした。学校推薦の映画が上映されると、母と出かけて帰りに焼きそばを食べて帰ったことを思い出します。前橋市に映画館が姿を消して久しい。高崎では高崎映画祭が回を重ね、春の期間がいつも楽しみです。今は高崎コミュニティーシネマが生まれていつでも映画が観られるよになりました。
この号では、浅間、中之条、東京とあちこち動き回ってさまざまな方々にお会いしました。本当に忙しく楽しかった。そんな表紙になったと思います。で、中学校の先輩にあたる小栗康平監督、映画界最高齢の新藤兼人監督にもお会いできたのでした。
いまや世界遺産の登録リストに選ばれ多くの見学者が訪れるという富岡製糸場。当時は、容易に取材が許されず繭倉庫へ足を踏み入れることままならず、わけなくピリピリしていました。
さて、本文レイアウトの終盤にさしかかったある朝、しかも雨がそぼ降るまだ薄暗い中、何故か私たちは富岡へ車を走らせていました。富岡一番に着くころにはようやく雨もあがり、あたりは白みはじめていました。製糸場の正面入り口は東に面していて、まるでそこがすべての出発点かのように通りが東にまっすぐのびています。予想通り、どうやら東繭倉庫に朝日があたり始めたのです。富岡製糸場のやけに偉そうな姿に反して、この界隈はほんとに生活感があって庶民的です。新聞の配達を終えたバイクや早朝の散歩の老人、明るくなると次第にあたりが騒がしくなり製糸場も息を吹き返してくるように感じてちょっと感動。この時の写真が表紙になりました。ちなみに左端の自転車は、実は通りすがりの女性に忙しい中何度か通過をお願いしました。
楽器片手に並んだ4人の音楽家は、群馬交響楽団OBの皆さんです。そして、その後ろの洒落た外観のカントリー風ショップは、ジーンズなど売る若者向けの衣料品店の入り口なのです。高崎市の鞘モールにあるその店は、かつての音楽喫茶「あすなろ」をそのままにその面影を残しています。「あすなろ」は、群馬交響楽団を支援し、詩と音楽を中心に多彩な文化運動を展開したクラシック喫茶として多くの芸術家をひきつけた、かけがえのない場です。今回の特集は、その「あすなろ」と群響(群馬交響楽団)です。この表紙の撮影をする前にあすなろ時代の名曲鑑賞室だったジーンズショップ奥において、当時に思いを馳せながら四重奏を演奏したのでした。これがきっかけに「あすなろ忌」と称して毎年春になる頃、詩人たちが中心になって、「あすなろ」とその主人で詩人の崔華國を偲ぶ会が開催されています。
創刊号の表紙としては、たいそう地味で控えめなビジュアルと首を傾げたくなるかもしれません。でもここは前橋市民にとって、思い出深い眩しい場所なのです。しかも撮影は、詩人の伊藤信吉(故人)。臨江閣の瓢箪池、その向こうにはまるでタイムトンネルかのような前橋児童遊園へつながる隧道が見えます。今は、「るなぱあく」と呼ばれているこの児童遊園はかつて赤城牧場、その昔は厩橋城の空堀だった。その一画に「波宜亭」という茶店があり萩原朔太郎をはじめ多くの詩人たちが集ったのです。朔太郎は『波宜亭』という詩を残し、しかも波宜亭先生と呼ばれていました。そんな詩人たちをめぐるお話が創刊号の特集です。これがきっかけとなって「NPO波宜亭倶楽部」が生まれました。戦後、市民三世代が遊ぶ前橋児童遊園は、今やその波宜亭倶楽部が指定管理者となって、「日本一なつかしい遊園地」というキャッチフレーズでほどよく賑わっているようです。