イルカ、ひよこ、うさぎ、コアラ、パンダにキリン、そして子馬

 1歳にも満たないという幼子から就学前までの子たちが一日を過ごす保育園。そんな大切な時間を過ごす施設環境のグラフィックデザインを行う機会に恵まれました。
 環境が幼い子どもたちに与える影響は、はかり知れないことは想像できます。地域の気候や風土、家族や指導者などの周りの大人たちや身近な兄弟やお友だちの様子。そして住環境と同様多くの時間過ごす学校や保育園等々・・・。高い天井と大きな丸窓のびやかな空間、床や壁面に木材をふんだんに使いそれだけでも居心地のよい環境に生まれ変わった祝昌寺第二保育園。少しでも子どもたちが元気に楽しく、それでいて穏やかに過ごせる場として相応しいグラフィックをといろいろ思案し提案しました。各年齢別に分かれたクラスのシンボルアニマルを子どもたちがハサミで切り抜いたかのような単純明快なキリンやパンダのシルエットが大胆に走り遊ぶ。それらの動物たちにまつわる景色や物をパターン化してファブリックのように大きな壁面にしつらえました。はたして子どもたちの感覚をどう刺激しているのやら?

Kouma

Kirin

Panda

Koara

Surusu


ナンバーキャラタで識別。遊び心のある愉快な試み 〈マチカプロジェクト〉

 「数字の1はナーニ・・・」という数え歌をご存知だろうか?
 覚えにくい数字を言葉や絵に置き換えて記憶にとどめることはよく行われます。これは、駐車場という味気ない空間を優しさのある愉快な空間へ少しだけ変貌させようという試みです。
 ほとんど機能だけのこの場所をちょっとした色と工夫で、どこに駐車したかまごつくことも減るばかりか、子どもたちとの愉快な会話を生み出したり、にぎわいある公共施設への導入口として期待感のある空間を模索する試みです。人間の記憶や感じ方は多種多様で老若男女それぞれの嗜好や経験などで大いに異なります。とにかくちょっと価値観を変えて楽しんだり、認めあったりすることが大切なのです。そこで下記の様々な表現要素で不思議なキャラクタをつくり、愉快で記憶に残るグラフィックを提案しました。

❶数字(階数)で覚える
❷色で覚える
❸配置(レイアウト)で覚える
❹キャラクタ(形状)で覚える
❺イメージ(物語)で覚える
❻組合せで覚える


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熊本市医師会・看護学校サイングラフィック

文字組について・・・・(縦組は天と地を繋ぐ無限に連なる文字組・・・)

 縦組で文字を表すのは漢字を使う国だけなので、横書きだけで自国の文字を表す人々にとって縦書きはたいそう奇異にうつることでしょう。横組の漢字や仮名が氾濫する今、サイングラフィックに視線が上下する流麗な縦組を試みることで、皆の感性をちょっとだけ刺激してくれることを期待しました。視認性を考慮しつつより縦組が際立つように、文字を長体(細長くする処理)に、しかも細筆(面相)で書いたような細身の書体を選んでいます。
 ここで縦組の文字配列にこだわったのは、外観に使われる縦長のアルミルパネルから細長の短冊を連想したからです。古代の木簡が起源といわれる俳句や和歌をしたためるあの縦長な紙です。七夕に子どもたちが願いを込めて笹に下げるあれです。その短冊には漢字や仮名が流暢に書かれ、伸びやかな文字組の姿がサインに再現することができないか模索しました。英字についても漢字や仮名同様に縦に組むことでより流麗感を持たせてみました。


絣模様について・・・・(伝統的な工芸品の多くは、構造体それ自身に装飾性が内包されている)

 熊本に限らず日本各地に見られる絣は、かつては人々の営みに根付いた身近な織物でした。正藍で染めた素朴で力強い綿糸で織り上げる肥後絣は洗うほどに色が冴えより着やすくなって馴染むと言います。縦糸と横糸が織り成す井桁や亀甲など伝統的な模様が特徴的な熊本の肥後絣。そんな素朴な模様をグラフィックパターンに活用してみました。織物という構造に装飾性が発見できる良い例です。


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上州風/32号「大きい空、広い河川」

北毛と呼ばれる山間部とその山々を一望できる関東平野の端っこの中毛地区、そして真っ平らにどこまでも広がる太田周辺の東毛地区。どこも同じ上州だというのに随分空の大きさが違う。群馬の山奥を源流とする坂東太郎利根川も下流に行くにしたがってみるみるうちにその姿を変え、これが同じ河川なのかと見まごうほどの変貌ぶりに自分の目を疑ってしまいます。私の居る中毛前橋から車を走らせると今は太田市となってしまった中島知久平の生まれ故郷尾島町あたりから山々が急激に遠ざかって見えるのです。もう太田市街に入ればすっかり北の山並みは影をひそめ、多々良沼近くにある県立館林美術館を訪れると、時々富士山が眺望でき驚かされます。大きな空、広い河川敷があってこその中島飛行機だったと単純な私は感じてしまう。海なし県の上州人が海に憧れ海軍機関学校へ、そこで航空技術に触れて富士重工の前身中島飛行機を起こした航空機王中島知久平の特集です。
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玉村町 平和のモニュメント『実りの大地』

 ここには、二つの遊び場があります。ひとつは、水遊びの出来る池と流れ。もうひとつは、あたりを見回せる丘です。池には、常に水が沸き出し、中心に置かれた御影石は、自然の割肌をさらしています。青葉の繁る季節に、汗ばむ夏の日に、親子連れがこの池の水に足をひたす様子を、おひさまと、この御影石が優しく見守ります。穏やかなときの流れは平和をやさしく教えてくれます。子どもたちは天をめざすように丘を駆け登り、息をはずませ、池を見下ろします。その時、ふと聞こえるかすかな水の音。丘のてっぺんのケヤキの下に置かれた石に耳をあてると、したたり落ちる水の音が聞こえてくるのです。眼下に広がる池の水、丘の上で音で気配を感じさせる水。子どもたちは、目と耳で別々の「水」を感じることで、より親密に「水」を体感できます。
 玉村町にとって、「水」は特別な意味をもっています。かって、この辺り一帯は、烏川、利根川に挟まれながら、高台であったため、乾いた土地が広がるばかりでした。この荒れ地を県内でも有数の稲作地帯に変えたのが、「滝川用水」です。これによってこの地は「実りの大地」に生まれ変わったのです。
 「水」は命の源。すべての命が水を必要としています。時に人は、その水を求めて、自然に対して、果敢に挑まなければならないことがあり、その時の苦労や汗、そして技術は、時を経るとともに、「文化」と呼ばれるようになります。現在玉村町は、住み良い町として、全国でも屈指の人口増を誇る町です。水質浄化センターの建設をきっかけに、様々な施設が整いはじめています。
 この地の丘と池は、「水」によって結ばれています。丘の上でかすかな音をさせている水は、地下を通り池に沸き出し、水をたたえています。これは、滝川の流れと浄化センターを暗示しています。大地を潤し「水の循環」により、「水と大地が浄化」され、「実り」をもたらします。親水地のメインオブジェの白御影石は、群馬県東村沢入産です。人為的に分割し、ズレを入れ、上部を丹念に磨くことで、自然(石)と人間(加工)の共生や、未来への可能性と希望を表現しました。ここで「水」と戯れ「石」に触れ、丘を走り回ることは、玉村町の「歴史」と「未来」を体感することにほかなりません。

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[落とされた石]

榛名湖畔公衆トイレモニュメント

このモニュメントは、榛名湖畔の駐車場につくられる公衆トイレに付随するものとして制作しました。当然のことながら、この小建築が造られる土地は人為的に広げられ駐車場として大いに活用されています。人間の存在は、地球に生まれてから自然を押しのけてそのエリアを拡大し続け、それについて今や大変深刻な状況を呈しています。そのような拡大された土地(エリア)を利用するにあたりエリアの拡大抑制が公衆トイレの計画のテーマとなっており、「落とされた石」*の考え方に基づいた施設の在りようやこの場の状況を象徴的に表現するものとして制作しました。

*山の斜面の岩の一部が、ある日突然転がり落ちて山の木を折りノ草の茂る野原に場所を移す。石の止まった所は、野草が枯れ石によって日影になった部分さえ枯れないにしてもその生育が悪化する。しかしながら、石によって作られた新しい環境に適合した植物や小動物が集まって来て、以前とは違った世界が展開してゆく。この施設は、落とされた石の範囲内で2コ目の石は落とさない方法で計画されている。

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囲まれた場=そして未来に開かれた空間

高崎神社(群馬県高崎市)
 歴史ある県社高崎神社では、毎年多くの神前結婚式が行われています。式のありかたが多様化する中、伝統的なスタイルにとらわれない新しい式場としてこの空間は計画されました。限られた空間をより広くのびやかにするために式場の両側面はガラス張りとなり、外部空間を庭園化して内部に取り込んだ一体感のあるデザインとしました。北面は、ボリュームのある白御影石の列柱が15本小高く盛った土の上を高さを違えて弧状に配しました。内部の床面と同レベルには、同じく白御影石の自然玉石を置き直径1.5メートルもあろうかというつくばいをしつらえました。式の時は、つねに水が溢れ祝福の花が浮かべられ結ばれる二人の門出を祝福します。南側は、自然の割肌を生かした板状の御影石を同じく15面並べ僅かにできた石と石の隙間から明るい日差しが差し込み幸せな未来を予感させてくれます。北面の弧と同心円内には、乱ばりに石が貼られこれも室内床と同レベルになっています。重く強固に立ち並んだ石たちが二人を守りがら、強い絆と幸せな未来を導くであろう厳粛な場になりました。

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MONUMENT[積水]

[積水ハウス株式会社・高崎営業所 石造モニュメント]
 ここに使われた石は、8,700万年前の白亜紀後期に生まれた白御影(花崗閃緑岩)です。今、永い眠りを破って勢多郡東村沢入の石切場から掘り出されました。石塊を縦に四分割し、裂け目をあたかも水が流れるかごとく磨き。その上面の交差部をもすり鉢状に磨き出し、天の恵みの受け皿を造りました。さらに内部を分割し、外して空洞にしつらえました。水がゆったり滴り落ち蓄積していく空間なのです。ここでは、積水ハウスの社名に由来する孫子の「積水」―あつまりたたえた水が強い力となり、それでいてどんな形にも姿を変えながらまた再生する姿―を象徴しています。そんな時間を超えた自然のサイクルと力強さを造形しました。また、くり抜いた本来内部にあるべき石たちは入り口周辺と風除室に置かれ石造のサインとしてより存在感がでたのでした。

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上州風/31号 額に「愛」の文字

上州風のキャラクタの額に小さく赤く「愛」の文字が見えるでしょうか?
NHKの大河ドラマ「天地人」も終わり歴女ブームもちょっと下火となって、今度は「龍馬伝」ブームとか。ブームは時代をうつす鏡と言います。変化が求められ時代だから「龍馬伝」でしょうし、スペシャルドラマの「坂の上の雲」も激動の時代もの。ともあれ今回の表紙は、かの歴女をすこぶる意識した特集タイトルが中央に鎮座して、あたりに少々見慣れない墨色の文様。これ武将の花押という一種のサインです。表情はなかなか風情があって、何だか植物文様にも見えます。ミジンコようなこの不思議な形状は、署名の偏や旁が組み合わされ次第に図案化・文様化して独特な記号になりました。つまりデザインされているということです。お殿様の書面の一番最後にこんなのが描かれてお墨付きというわけです。地は、丹精こめて漉かれた桐生和紙を敷いています。

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クローズアップ
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群馬「新」百科事典

2008/3/20発行
発行所:上毛新聞社
ISBN 978-4-88058-988-6
A4判 上製本/本文900ページ

群馬のことならなんでも(?)つまりにつまっている群馬「新」百科事典のブックデザインをしました。最初に出版されて好評だったという群馬百科事典から時を重ねるにつれて当然、群馬の様子も変わって、「新」百科事典の発行となったわけです。人の知識の及ぶ全ての事物や現象を集め、解説した書物「百科事典」は、改訂を重ねこれからはたしてどれだけ分厚い書物になっていくのだろうか?・・・発見され解き明かされる過去の事物、現在から未来永劫に起る出来事や、発明される物たちが数限りなく蓄積されると果てしなく分厚い百科事典になってしまうはずです。なんでもかんでも全て詰め込んだらどっちが世界でどっちが書物か判らなくなってしまう。インターネットのウエブ上百科事典のウィキペディアは、なかなか便利。オープンコンテンツという誰でも記事を編集したり新しく作成したりできるという仕組みで、どんどん膨張していく。ということでこの群馬新百科事典は、扉から表紙、カーバーというふうに次第に膨らんで行く群馬県の姿をビジュアルにしたわけです。ちょっと単純かな?でもそれに気づく人少ないかも。次の「新新」百科事典が刊行されるのは、いったい何時になるのだろうか?

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カバー


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表紙


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本文(あ)

心と体にやさしい「漢方の知恵」

2009/12/16 発行
著者:井上正文
発行所:上毛新聞社[事業局出版部]
ISBN978-4-86352-021-9
A5判横型 並製本/本文254ページ


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初代コロムビア・ローズ物語

2009/9/13 発行
著者:桑原高良
発行所:上毛新聞社[事業局出版部]
ISBN 978-4-86352-017-2
46判横型 並製本/本文152ページ


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「手でつくるあそぶみつける」

2009/8/8 発行
著者:寺澤 徹
発行所:上毛新聞社[事業局出版部]
ISBN978-4-86352-013-4
A5判変型 並製本/本文394ページ


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生誕100年 山口 薫 画布に刻まれた詩

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[総扉]

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[奥付]

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シルクカントリー双書 vol.1~10

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月刊 まっと/matto

すっきりと、ストレートに内容を伝えるため、毎号1枚の真白のキャンバスにタイトル「matto/まっと」とメインテーマのロゴ、ビジュアルを配して、シンプルに構成した。ちなみにタイトルの「まっと」は群馬の方言でもっと。地方感が全面に出過ぎぬようスタイリッシュなデザインを心がけた。残念ながらvol.14で休刊。

Matto


季刊誌 はぎてい

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上州風/30号「土下座前」

 記念すべき30号に到達した上州風。創刊が1999年冬だから10年という歳月をかけてここまで辿り着きました。当初は季刊誌として年4回のペースでしたが、今は年2回の発行となっています。春と秋のペースだから春秋誌とでも呼びましょうか。
 さて、今回の特集は、勤王の志士たちが「今彦九郎」と崇め尊称した「高山彦九郎」。7号の特集「時代を生きた女性」の取材で訪れた京都において、三条大橋のたもとに鎮座する巨大像を目の当たりしてびっくり。京都御所に向かって土下座する姿のなんと強烈なキャラクター。なるほどこれが彦九郎か〜。表紙は日本中を旅した彦九郎らしく当時交流のあった長久保赤水の起こした日本地図の上に旅するシルエットの彦九郎が上州太田に土下座するシルエットを京都に配しました。ちなみに京阪三条駅前の彦九郎像前は、「土下座前」と呼ばれ絶好の待ち合わせの場所になっているとか。

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上州風/29号 芸妓組合事務所

 随分開発が進んだといっても目をこらして街を歩くと、ここかしこに懐かしいものが飛び込んできます。残念ながら地方都市の中心街はどこもいまや風前の灯火の感で、もしかしてレトロだらけになってしまうかもしれない。日本中風雨をしのげる街路をとアーケードが生まれ、今や老朽化してちょっとした厄介者だとか。新しく見える町並みにも表層を剥がすと幾重にもレトロが顔をだします。そんな街の一画に今も残る前橋芸妓組合事務所が表紙です。それにしてもレトロっていったい何なんだろうか。

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上州風/28号「赤城の山も今宵かぎり~」

 水滸伝なら梁山泊、酒呑童子は大江山、ロビンフッドにゃシャーウッド、ステンカラージンはヴォルガ河、毛沢東なら井崗山、カストロ・ゲバラはシェラマエストラ、国定忠治は赤城山。(「走れ国定忠治」著 朝倉喬司より)これでたんなる任侠ではないことがよくわかる。そんな忠治がテーマの特集です。
 表紙は、田崎草雲の描いた忠治の姿と今も訪れる人が絶えない養寿寺境内の忠治の墓から望んだ夕刻の月。余談ですが「赤城の山も今宵かぎり~」の科白といえば、新国劇。その新国劇出身の緒形拳は、3号で特集した金敷平の画家「山口薫」の作品に魅せられていたとか。また、創刊号で特集した波宜亭先生こと萩原朔太郎は、「自転車日記」という随筆で、手に入れたハイカラ自転車を走らせて忠治の墓を訪れています。

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上州風/27号 先発が今度はリリーフ?

 わけあってしばらく遠ざかっていた上州風。なんと再度お呼びがかかり、久々の登板となりました。先発投手が今度はリリーフ?ほぼワンテーマだった頃と事情が違って特集が三本、しかも共通項が見当たらずちょっと困った。とにかく戸惑いながらも中味が率直に伝わる表紙をこころがけました。
 どれも興味をそそられる特集なだけにタイトルやヴィジュアルも趣向を凝らしてみたものの的が絞れず散漫なってしまったのでは・・・。久々という気負いがあって、ぎこちなさを感じる表紙になったかも、反省・・・。でも中のレイアウトはもう少し良いはず?

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上州風/14号「月と星と太陽」

 この14号をもってしばらく遠ざかった上州風。表紙デザインの金赤の地に白抜きの星と三日月は、トルコの国旗。もちろん白地に赤丸は日本の国旗です。「月と星と太陽」なんと気持ちの良いコンビネーションでしょう。とてもパンチがあって歯切れの良い仕上がりに自分なりに満足しています。
 さて、中味の特集はというと、沼田藩士山田寅次郎の土耳古(トルコ)と日本を結ぶ波瀾万丈の生涯を追ったとても興味深いものでした。サッカーワールドカップで身近になったトルコがこれでまた一歩近しいものになりました。特集できないままになってしまったドイツの建築家ブルーノ・タウトは達磨寺少林山に暮らし、日本文化を世界に紹介した後、実はトルコにおいて客死しています。何故だか寅次郎は茶道宗徧流の家元となり、生涯を終えたのです。

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上州風/13号「特選吟醸 上州風」

 お酒は苦手だけれど、懸命にものつくりをしている人たちを追うのはこの上なく楽しい。酒米つくりから洗米、仕込み、醸造とどの工程も真剣そのものだ。ものつくりが消えつつある中、伝統が息づく酒造りがまだまだ生きていることに感動しました。
 当然、表紙には、地酒造りの工程とその原料の大切さ美しさを込めました。
 酒蔵にお願いして上州風特選の地酒を提供していただき、ラベルもデザイン。読者プレゼントを企画しました。その名も「特選吟醸 上州風」です。たぶんこれがきっかけのひとつとなって、田植えから酒造りまで市民主導の限定酒「緑風街」が生まれました。この地酒は、いまでも特集で紹介していた柳澤酒造で仕込まれています。

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上州風/12号 スポーツ編

 上州風がスポーツをとりあげるのは、ちょっと意外かもしれない。でもやってみると中味はそれなりに無難にまとまっている。デザインはというと、スポーツ雑誌のようにダイナミックでシャープな仕上がりにはなかなかいかず、やっぱり文化誌の感が否めない。サッカーの専門誌だったらトップアスリートの険しい顔とか、グランドを駆け回る選手たちの姿がいきなり目に飛び込む表紙になるだろう。となるとタイトルは、どしっとした形状の太身の上州風というわけにいかないし、判型もひとまわり大きくしたい。そんなことも想像してみたけれど、さしずめとりあげたスポーツのピクトをつくって表紙にもそれを配してお茶を濁してしまった。さて、どうだろうちょっと弱かったかも?とにかく明るく爽やかな表紙にしたかったし、そうしなければならなかった。スポーティーな印象は無いが文化誌らしいそれなりの出来映えになりました。

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上州風/11号 レーモンド作それとも房一郎?

 帝国ホテルの設計で来日したライトの助手としてやってきたアトニー・レーモンンド。その後、日本に残って良いクライアントに恵まれたくさんの仕事を残した。同時期、関西方面で活躍したヴォーリスという建築家も良く知られているけれど、それよりこの群馬高崎ではブルーノ・タウトというドイツ人建築家も忘れてはならない。タウトは建築の仕事には恵まれず、でも多くの日本文化についての著作とデザインの思想を残しました。
 さて、表紙の写真は麻布笄町の自邸兼スタジオで撮影されたもの。これとほぼ同じ(鏡合わせ)ものが高崎市立美術館裏に高崎哲学堂として今も残され保存されています。井上房一郎の自邸として建てたられたものです。この地の高崎音楽センターもレーモンドの設計で上州風2号で紹介している群馬交響楽団の本拠地です。取材で多くのレーモンドの作品を巡ったけれどやはり哲学堂が一番かも。でもこの建物は、房一郎がそっくりまねて造らせたものなのでレーモンド作と言えるのだろうか?

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上州風/10号 洗濯できる宇宙船?

 表紙画面下に宇宙船のように銀色に光る物体は、なんと手動の洗濯機です。高崎の林製作所という小さな工場が製作して世界中に輸出されたヒット商品です。なんとNASAが宇宙船飛行士の洗濯用に使ったとか?実は、フランスの片田舎の老婦人が今でも使っていて、劣化したゴムパッキンを探しているという心温まる話題も紹介しています。今や日本では、洗濯機はおろか家の中はなんでもかんでも電化。これでいいのか・・・? 流石フランス人、古いものを大切にスローに暮らしているのに感激してしまいました。不況、そしてものづくりが海外へ流出している中、どうか群馬の中小企業に頑張ってもらいたものです。

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上州風/9号「ぐるぐる漬け」

 「群馬の食」がテーマの今号の目玉は、やはり料理家がコーディネートするお料理を食べながらの対談でしょうか。対談場所には、カメラマンはもちろん編集者、デザイナーたちが勢揃い、香ばしい肉の焼ける匂いにお腹がグー・・・。美味しいものは本当に皆の気持ちを優しくしてくれて、幸せ気分になります。表紙の野菜は、伊勢崎の下植木ネギと国分人参。伊勢崎銘仙で栄えた頃に盛んにつくられ、銘仙と一緒に日本中に贈答品として配られた下植木ネギは、あの下仁田ネギに勝るとも劣らない柔らかさ。白菜で知られる旧群馬町の国分で生産された国分人参は、外来の人参に押され今は生産農家は数件とか。牛蒡のように地面奥深く伸びる長い長い人参にびっくり。洒落でこの人参をぐるぐる巻きにした漬け物をつくってみました。称して「ぐるぐる漬け」。どこかの漬け物屋さん商品化しませんか?

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上州風/8号 石(意思)+卑

 石にメッセージを刻む。なんて強固な意志の表れなんだろう。あれほど固いものにコツコツ情報を刻み込むのだし、ちょっとやそっとで消し去ることもできない。本や雑誌もメディアとして歴史は古いがそれ以上に石碑の歴史は古く、数千年もの前の人間の営みや思いが刻まれ今に伝えることもります。ここで紹介されている石碑はそれほどではありませんが、そこには自分たちの愚かさをこれから何百年、何千年と風化させはしないという強烈な意思を石(ダジャレじゃない)に刻んだものもありました。特集タイトルロゴの「碑」をデザインして表紙に大きくレイアウトしました。卑しい石と書いて「碑」。意思を込めることが卑しいのか、とるに足らないというか、自分たちをさげすむ行為が石碑の根本に隠されているのかもしれません。

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上州風/7号 女だらけの上州風

 男というやつは、どうも頑固で頭がコチコチ、でいながら調子にのると手がつけられない愚かな生き物です。それに比べ女性は、何ものにもとらわれない柔らかい感性をもっていますが、これまた到底男には手に負えない強烈な生き物です。7号の特集は「時代を生きた女たち」。巻頭を飾ったのは、ベネチアビエンナーレ日本代表で今や世界的女性写真家の石内都氏と美術作品から死生感を読み解く研究をしている美術史家の小池寿子氏の過激で刺激的な対談でした。会場は、石内氏の個展の会場で行われ、決して忘れられない対談でした。とうてい紙面に表現できない生々しい会話に、お調子者の男でよかったと胸を撫で下ろしました。表紙を飾ったイラストは、自由気ままに世界中を旅するこれまた女性の大内智子氏。女だらけの上州風でした。

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上州風/6号 真夏の夜の映画会

 小学生の頃、夏休みになった学校の校庭に大きなスクリーンを張って鑑賞した、真夏の夜の映画会がありました。ゴザを敷いて夕涼みしながらののどかなものでした。学校推薦の映画が上映されると、母と出かけて帰りに焼きそばを食べて帰ったことを思い出します。前橋市に映画館が姿を消して久しい。高崎では高崎映画祭が回を重ね、春の期間がいつも楽しみです。今は高崎コミュニティーシネマが生まれていつでも映画が観られるよになりました。
 この号では、浅間、中之条、東京とあちこち動き回ってさまざまな方々にお会いしました。本当に忙しく楽しかった。そんな表紙になったと思います。で、中学校の先輩にあたる小栗康平監督、映画界最高齢の新藤兼人監督にもお会いできたのでした。

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上州風/5号「雨上がりの富岡一番」

 いまや世界遺産の登録リストに選ばれ多くの見学者が訪れるという富岡製糸場。当時は、容易に取材が許されず繭倉庫へ足を踏み入れることままならず、わけなくピリピリしていました。
 さて、本文レイアウトの終盤にさしかかったある朝、しかも雨がそぼ降るまだ薄暗い中、何故か私たちは富岡へ車を走らせていました。富岡一番に着くころにはようやく雨もあがり、あたりは白みはじめていました。製糸場の正面入り口は東に面していて、まるでそこがすべての出発点かのように通りが東にまっすぐのびています。予想通り、どうやら東繭倉庫に朝日があたり始めたのです。富岡製糸場のやけに偉そうな姿に反して、この界隈はほんとに生活感があって庶民的です。新聞の配達を終えたバイクや早朝の散歩の老人、明るくなると次第にあたりが騒がしくなり製糸場も息を吹き返してくるように感じてちょっと感動。この時の写真が表紙になりました。ちなみに左端の自転車は、実は通りすがりの女性に忙しい中何度か通過をお願いしました。

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上州風/4号「赤城村からNYコロンビア大学まで」

 表紙をはみ出すほどのどアップのポートレイトは、「せんせい」こと角田柳作。日本文学研究家のドナルド・キーン氏の師。アメリカ、ニューヨークのコロンビア大学では、「せんせい」と言えば角田柳作のこと。なんと取材は赤城村から、キーン氏宅、ニューヨークのコロンビア大学までおよびました。ニューヨークには一泊しただけのトンボ帰りというハードスケジュールを意に介さなかったのはどうしてなのだろうか?とにかく思い出深い特集です。紆余曲折、戦争に翻弄され多難な人生でいつまでも日本人らしい実直さを忘れなかった角田柳作に、いつの間にかまるで若者のように憧れていました。

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上州風/3号「桐生はそれほど甘くはない」

 この永遠にどこまでも続いているような長い路地は、桐生本町と小曽根町の境にあります。桐生本町一、二丁目のうなぎの寝床のような町家とおもちゃ箱をひっくり返したような路地裏には、今も変わらぬ暮らしがあります。路地に笑顔で佇むジャズピアニストのチャンドラーさんは、この路地が大好きだという。93年にAETとして来日してこの地に居をかまえていますが今やすっかりとけこんで違和感ゼロ。何でもすんなり受け入れてしまう許容力がどうしてこの桐生にはあるのだろう?とてもじゃない一冊の雑誌で紹介しきれるほど桐生は甘くなかった。本当に奥深いのだ。第2特集には、金敷平の画家「山口薫」を取り上げた。きわめて濃密な一冊。

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上州風/2号「あすなろ忌」

 楽器片手に並んだ4人の音楽家は、群馬交響楽団OBの皆さんです。そして、その後ろの洒落た外観のカントリー風ショップは、ジーンズなど売る若者向けの衣料品店の入り口なのです。高崎市の鞘モールにあるその店は、かつての音楽喫茶「あすなろ」をそのままにその面影を残しています。「あすなろ」は、群馬交響楽団を支援し、詩と音楽を中心に多彩な文化運動を展開したクラシック喫茶として多くの芸術家をひきつけた、かけがえのない場です。今回の特集は、その「あすなろ」と群響(群馬交響楽団)です。この表紙の撮影をする前にあすなろ時代の名曲鑑賞室だったジーンズショップ奥において、当時に思いを馳せながら四重奏を演奏したのでした。これがきっかけに「あすなろ忌」と称して毎年春になる頃、詩人たちが中心になって、「あすなろ」とその主人で詩人の崔華國を偲ぶ会が開催されています。

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上州風/創刊号 「瓢箪池」

 創刊号の表紙としては、たいそう地味で控えめなビジュアルと首を傾げたくなるかもしれません。でもここは前橋市民にとって、思い出深い眩しい場所なのです。しかも撮影は、詩人の伊藤信吉(故人)。臨江閣の瓢箪池、その向こうにはまるでタイムトンネルかのような前橋児童遊園へつながる隧道が見えます。今は、「るなぱあく」と呼ばれているこの児童遊園はかつて赤城牧場、その昔は厩橋城の空堀だった。その一画に「波宜亭」という茶店があり萩原朔太郎をはじめ多くの詩人たちが集ったのです。朔太郎は『波宜亭』という詩を残し、しかも波宜亭先生と呼ばれていました。そんな詩人たちをめぐるお話が創刊号の特集です。これがきっかけとなって「NPO波宜亭倶楽部」が生まれました。戦後、市民三世代が遊ぶ前橋児童遊園は、今やその波宜亭倶楽部が指定管理者となって、「日本一なつかしい遊園地」というキャッチフレーズでほどよく賑わっているようです。

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群馬大学医学部石井記念ホールモニュメントサイン/バナーサイン

絹の街前橋を象徴する煉瓦つくりの建物が残念なことに少しずつ姿を消しつつあります。そんななかで、なんと群馬大学医学部職員駐車場でじっと出番をまっていた古びた煉瓦の門柱が檜舞台に立つことになりました。付属病院等多くの施設が乱立する医学部学内のど真ん中に石井記念ホールというカフェテラスと医学生の学習ルームが完備された近代的な学生会館の完成とともに、その入り口サインにこの門柱を移設して施設名を配したサインモニュメントとして。絹産業衰退とともに筑波学園都市へ移ってしまった前橋蚕糸試験場(国立原蚕種製造所前橋支所)の門柱として明治44年から昭和55年までその役目を果たし、その後ずっと日の目を見ずいたのです。街並みにとって古めかしい建物も景観のひとつとして残していくことが大切。スケッチする時だって赤土色の古びた煉瓦の建物がアクセントになって画面がとてもイキイキするものです。今や、立派な校舎や施設群に囲まれながら、なんとも良い学内のアクセントになっています。

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小布施町立図書館サイングラフィック まちとしょテラソ

 やたらに大きく、しかもあちこちにちりばめられ、当然それが動き出せばいっしょに動きだし、そして重なりあったり隠れたり繋がったり・・・。
 例えば町中の看板や駅のホームの文字など、物陰に隠れてしまった漢字はその一部を見ればだいたい間違いなく想像できるものです。ちょっと乱暴なもの言いかもしれないけれど、あまりに親切丁寧な表現は、人間の想像力を台無しにしてまうものです。それぞれの空間を一時的に仕切る扉に、その場所を意味する部屋名の表記は、機能として必要です。でもそこでは、それ以上にいろいろなことが行われ、活用されるのです。この計画では、漢字を扉の表示サインとして、また意匠の素材として工夫しながら自由に配置(レイアウト)することで、文字のもつ造形的な美しさを知るとともに、その空間をそれ以上のものに感じさせてくれることを狙いました。それにしても、こんなにも拡大された文字を間近で見ることはめったにないせいか、なんだかいつも目にしている馴染みある漢字と違うような、ちょっとした錯覚に落ち入ってしまいそうです。


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高崎市立桜山小学校サイングラフィック

高崎市立桜山小学校のしつらえ

 時が経つと大切な思い出も次第にうすれていくものです。それが生まれて初めて通う小学校での刺激的で楽しい経験だとしても。母校が廃校という憂き目にあってしまったり、故郷から遠く離れて生活していたならなおさら、思い出すことはなかなかありません。それにしても、おとなになると最終学歴は問われても出身小学校を聞かれることがめったにないのは何故なんだろう。うすれつつある小学校での数々の記憶は、幼なじみや恩師たちと過ごした校舎とともに甦ってきます。重厚な昇降玄関、広くて長い廊下、ゆったりとした階段踊り場、天井の高い立派な講堂・・・。
 昨年からこの春にかけて、思いがけず小学校建設計画にかかわるという貴重な体験をしました。記憶の奥底に眠っている私の中の小学校とはあまりにかけ離れたその斬新なデザインにしばらくの間、期待と違和感が入り混じった戸惑いがありました。でも、姿を現したその校舎を目の当たりにしたその時、模型や計画図面を正確に読み取って、これから生み出される新しい空間(あるいは環境)を受容する能力にひどく欠けていた自分に気付いたのでした。
 一昨年の夏、私は東京にあるナスカ一級建築士事務所の会議室に置かれた畳二枚分もあろうかという建築模型の前にいました。小学校のサイングラフィックデザインの協力を依頼され、その打ち合わせのために。
 建築設計に求められている様々な配慮のひとつにその空間にふさわしい誘導、表示サインの計画があります。サイングラフィックにこだわり、そこまで気配りすることは決して多くはありません。いやほとんど無いと言っても過言ではなく、大きな建築計画でさえおざなりになることもあります。この施設にはサインばかりか、広い校舎と敷地内のいたるところに工夫、こだわり、配慮がちりばめられているのはこの建築を見れば一目瞭然です。地域解放という本来の学校にあるべき機能をはたすには、来訪者に対して案内表示サインが当然求められます。それだけで変化を楽しませてくれるジグザグ状の校舎には、冬場の季節風など地域環境に対応した配慮が隠されている。2階に集約されたオープン形式の普通教室は多様な用途にも対応できるよう配置され、学年、クラス間の活発な交流を促すのびやかな構成となっている。このような新たな試みを果たすために適切な学年表示サインとクラス表示サインが大きな役割をはたすのです。1階に配置された職員室や保健室、図工室や音楽室などの特別教室に施された表示サインには、グラフィック処理された巨大漢字が楽しく踊り、学びの場らしいしつらえがなされました。
 今はもう消失して、思い出の中に埋もれてしまった私の知るかっての小学校には、一緒にいたずらをした同級生たちや厳しい反面優しさを表現できる先生たちの場があった。この施設には、かっての小学校のように総てを受け入れてくれるであろうそんな建築物としてのしつらえを強く感じさせるのです。サインデザインを口実に、教師でもなければまして小学生でもない私が一足お先にくまなく校舎を歩き巡って、優しく居心地の良いしつらえのある場所を発見するのにそう時間はかかりませんでした。なだらかな傾斜の向こうに榛名山を一望でき、古くから拓かれた歴史ある地域に造られた高崎市立桜山小学校は、この地域に生まれ、移り住む子どもたちが通い長い時間過ごすのです。新校舎内では、これから確かに他の学校同様の営みが繰り広げられるはずですが、桜山小学校ならではのある種開かれた明るい環境から生まれる刺激的で濃厚な経験が子どもたちの記憶に深く刻まれるのです。明るい昇降玄関、のびやかな長い廊下、みんなが行き交う階段踊り場、清潔で開放感のある教室・・・そしてサイングラフィック。

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コレクション1 名画の花束ーモネ、ルノワール、ピカソ、ローランサン・・・

 クロード・モネの「色彩レイアウト」感覚の素晴らしさは、あらためて驚かされます。《睡蓮》というモネのライフワークだったこの作品群のひとつに、その上に文字をちょこちょこっと簡単に配しただけでレイアウトが完成です。デザイナーとしてはなんだかあっけなく、でもちょっとした充実感・・・。
 さて、かって油絵を描きはじめた中学生の頃、印象派の画家達はやはり気になる存在でした。ヨーロッパの近代絵画はとても新しく感じ、本当に魅力的でした。しばらくして、高校生になるころには次第に時代を遡りルネサンス絵画などにも魅了されました。油絵学科の大学生になると抽象表現主義、ポップアート、コンセプチャルアート、具体、モノ派なんでも興味をもったものの何もできなかった。時が経ってあの頃と異なる立場と視点で接するモネも良いものです。

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コレクション2 洋画の足あと

 高崎(旧箕郷町)出身の画家山口薫らが設立したモダンアート協会展へ出品するきっかけは、フカマチ画廊(高崎)で初めての個展をした折、小倉ポオ氏のお誘いからでした。10年間ほど出品して、その間安井賞展などにも出品させていただき、後に退会しました。日本洋画会の巨匠たちの作品は西洋の影響をうけながらも独自なスタイルと表現をそれぞれが確立しています。なかでも山口薫の作品は、私にとって格別です。その影響をうけてのモダンアート協会展出品の10年間だったと思います。考えてみるとデザインのお仕事に従事してからも同様にその影響下にあったことを実感しています。今あるデザインのお仕事のベースはそこのあるのかもしれません。きっと

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コレクション3 美術を楽しむ方法

 こんなにも美術作品が多様で楽しいものなんだと、あらためて感じさせてくれるコレクション展です。デザインにも少しばかりそれを反映させようとしてみました。
 さて、自宅の玄関にはオノサト・トシノブの星印をモチーフにしてシリーズ化したハガキ大のシルクスクリーン版画作品が4点並んでいます。親しくさせていただいていた画廊の方からとても安く分けてもらったものです。(数千円くらいだった)時々教室に通う受験生が平面構成の参考にもして役だっています。ここでは、私と同世代の作家の作品もあって、随分前ですが福田美欄氏は同じ展覧会に出品させていただいたことがあります。ちなみに美欄氏のお父様は世界的に有名なグラフィックデザイナーの福田繁雄氏です。

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コレクション4 アートの箱庭 昭和庁舎でみる現代美術

 美術がいかに新しい表現を追い求めているかがよくわかるコレクション展です。アートも進歩・発展を続けているのです。だって世の中もコンピュータや携帯電話など本当に急激に進歩・発展している。それだけが昔のままも可笑しなものです。
 さて、これらの作品がやけにデザイン的に感じるのはどうしてなんだろう?写真や動画画像など・・・。あるところではアートとデザインの境目がほとんど無くなってきている。アートが計画図をドローイングにしてみたり、表現媒体をいろいろ工夫してみたり。デザインが実験的な試みとして座れない椅子をデザインしてみたり、ワークショップを通じて経験をデザインしてみたり・・・。なかなか面白くなってきた。

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コレクション5 南城一夫

 前橋市馬場川沿いにあった南城一夫のアトリエ兼住まいは草木がうっそうと生い茂って、街中にあってそこだけ特別な異空間でした。そこからほどないところに焼夷弾をうけながらも幸運に空襲から難を逃れた清心幼稚園があります。なんとそこには南城一夫が訪れて描いたという古ぼけたオルガンがありました。朽ち果てつつあったアトリエも園児たちが元気に遊びまわっていた旧清心幼稚園舎(新しい園舎となっています)ももう今はありませんが「るなぱぁく」(旧中央児童遊園)の木馬館は、この展覧会の後、間もなく登録有形文化財になって、今なお現役として子どもたちを乗せて元気に夢の世界を駈けています。ちなみにに「るなぱぁく」のサイン・ユニフォーム等のロゴタイプは、前橋出身の詩人伊藤信吉(故人)の書をもとにして寺澤事務所(寺澤)がデザインしています。

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コレクション6 北の国のものがたりームンク、カンディンスキー、ココシュカ、シャガールの版画

 北欧の作家たちの版画集、詩画集が並んだコレクション6は、イエローからグリーンへ移り変わるグラデーションでデザインしました。もともと版画も印刷も同じ技術です。だから油絵などのマチエールや作品の照り返しなどをあまり心配せず作業ができて印刷物に馴染みやすいようです。ここに展示されたシャガールの作品のほとんどがリトグラフ(石版画)といって、この技術が改良されて現在のオフセット印刷になりました。もちろんここに並んだ印刷物は全てオフセットで印刷されています。版画技術の発達によって1点もののタブローから、たくさん制作可能な版画が流通するようになって美術が身近になって庶民のものになりました。

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コレクション七 日本画とのひととき

 コレクション展の回数数字をデザイン素材として使ってきましたが、日本画展ということで漢数字(七)表現にして、タイトルや解説文等も縦組にしてみました。
 さて、長いことアートとデザインの世界に関係してきましたが、何故か日本画とはあまり縁がありませんでした。でもそんな中で、このコレクション展に出品している塩原友子氏にはいろいろお世話になっています。今から十数年前、医師の由上修三氏の支援で行った展覧会で私の小品を購入いただきました。また、縁あって塩原友子「わがこころ」(上毛新聞社刊)の書籍デザインもさせていただいたのです。このコレクション展の解説にもあるように、いったい日本画ってなんだろう?と考えてみると塩原氏の作品には、そういう枠組みを忘れさせてくれる縦組ではない作品が多いのです。だからあらためて日本画家塩原友子と聞くと何だか不思議な感じを覚えます。

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コレクション8 横堀角次郎

 暗く沈んだ表現で麗子像を描いた岸田劉生に影響を受けた横堀角次郎を紹介するコレクション展8は、そんな暗さを払拭するようなシアン色のグラデーションでデザインしました。角次郎は木黄(もっこう)という雅号を持っていて日本画も描いたとか。木黄は横堀の横の部位からとったといいます。けっこう洒落たところがあったのです。随分前、デザインのお仕事で地元の金融機関の本社を訪ねた時、角次郎の作品をを観る機会がありました。故郷によせる愛情のある風景画をPRに活用したらと提案しましたがうまくいきませんでした。とても良いアイデアかと思ったのですが・・・。合併合併でいまはもうその名の金融機関はありません。

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コレクション9 名画の餐宴ーベスト・コレクション

 このコレクション展は名前の通り昭和初期に建てられたという群馬県庁昭和庁舎で続けられました。そんな昭和庁舎昭和の趣にあった展示企画ということでコレクション9のビジュアルは少しばかり装飾的なタイトルとバックの地紋もそんなことを意識したものになりました。ベスト・コレクションとあるように県立近代美術館のコレクション1,700点の中から選りすぐりの東西の名画が展示されたのでした。「名画の餐宴」のタイトル周りにある葉っぱや木の実のシルエットは美術館がある群馬の森で採取したものです。馬のシルエットもやはりそこのあるブルデルのブロンズ像からなのです。裏面の地紋は表面のルドン作《ペガサスにのるミューズ》の部分を使っています。

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コレクション10 司 修

わが故郷に帰れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
・・・・

前橋人にとってたまらない一節です。
前橋出身の司修氏は執筆活動でも良く知られ、また、詩や文学から強い影響を受けて多くの絵画も制作しています。萩原朔太郎の「郷土望景詩」「漂白の歌」からインスピレーションを受けて作品を残すのも当然に思えます。国民文化祭において司修氏監修の「いのちの詩」の朗読のお手伝いを息子たちとしたことがあり、そこで司氏の指導を受けたことがありす。書籍の挿絵や装丁なども多数手がけ本当に多彩な人です。朔太郎も司氏も前橋にとってかけがえのない人です。

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画面上部の地紋になっている文字は、萩原朔太郎の「帰郷」(氷島より)です。 


コレクション11 美の創り手たちー近代洋画から現代美術まで

 何かの機会に訪れた安中市の新島学園に湯浅一郎が模写したというベラスケス(だったかな?)の大作が鎮座していて度肝をぬかれたことがあります。明治の日本人が緻密で大迫力の西洋画を目の当たりにした時も随分驚いたことでしょう。それからというもの日本は西洋の美術を追い求め吸収してきました。ようやく現代になってそんな呪縛から逃れてきたようです。
 さて、今回は表も裏も黒を地にしたデザインになっています。よくよく見ると黒色の色味と表情(グロスとマット)が僅かに異なる部分があります。この印刷はシアン、マゼンダ、イエロー、ブラックで刷られています。コート(照りのある)紙にブラックのみマットインクで印刷しました。だからブラックのインクがのっている面がマットになって、それ以外が照りのある画面になっています。どうしてブラックがのっていない照りがある面が黒いのかって?どうぞ考えてみてください。

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コレクション12 ルオーの「ミセレーレ」

 ルオーの油彩画は黒い輪郭と重厚な厚塗り表現でとても暗いイメージがあります。版画集《ミセレーレ》も同様で黒一色のモノクロームで重苦しいものです。こういう生と死や醜さや欲などをテーマにして、人々に突きつけることこそアートの役割のひとつです。もちろん作品としての魅力があってこそ訴える力があるのですが・・・。
 さて、今回の印刷色は墨とパール系のキラのあるブルーグリーンをつかった2色刷りです。紙は書籍用紙を使用する工夫をしました。ポスターも色、紙は同様ですが、こちらは《ミセレーレ》の全作品を並べて図録としても活用できるよう苦心しました。全作品が並んだ様子は壮観です。

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